のりピーこと歌手の酒井法子さんに新たな恋人ができたことが報道されています。のりピーといえば、どうしても10年前の覚醒剤取締法違反での逮捕がついて回ります。これをのりピーがどう思っているのかは知る由もありませんが、誰しも目を背けたくなる過去のひとつやふたつは持っているものです。
今回のコラムでは、目を背けたくなる過去に目を向け、それを受け入れた事業家の事例から、小規模店舗が強みを見つける方法を見ていきます。
「奇跡のバックホーム」が起きた試合
1996年夏の甲子園大会決勝戦は、松山商業と熊本工業が激突しました。3対3でもつれこんだ延長10回裏、熊本工業は1アウト満塁、サヨナラのチャンスを迎えます。ここで、松山商業はライトの守備固めとして、これまで出場機会のなかった矢野勝嗣選手をベンチから送り出します。
矢野選手に交代した直後の初球、バッターは大きなライトフライを放ちました。3塁ランナー星子崇選手がタッチアップで生還すれば熊本工業のサヨナラ勝ちです。誰もが熊工の優勝を確信しました。
そのライトフライを捕球した矢野選手が本塁に向かって投げたボールは、約80メートルを経てストライクでキャッチャーに届き、タッチアップを狙った星子選手はアウトになりました。これが球史にのこる「奇跡のバックホーム」です。
その次の回、先頭バッターは矢野選手。初球を2ベースヒットにします。これをきっかけに松山商業が勝ち越し、熱戦に終止符が打たれました。しかし、もう一つのドラマがここから始まります。
熊本に凱旋すると…
心ない一部の大人は、3塁ランナーとして本塁でアウトになった星子選手に対して「走りながらピースしてなかった?」「力を抜いて走った」などという心ない言葉を投げつけました。当時の星子選手は18歳、深く傷付いたことは想像に難くありません。
星子氏は卒業後、社会人野球を経て、熊本で居酒屋を開業します。そして、あの試合から17年後に再会がありました。
背負っていく覚悟
愛媛の企業に就職していた矢野氏が、星子氏の店を訪れたのです。17年ぶりの再会に2人はお酒を浴びるほど飲んだと言います。当然、話題はあの試合になりますが、その試合がきっかけで辛い思いをしたのは星子氏だけではありませんでした。
10回の守備で1球だけ、11回の打撃で1球だけ。この2球で良いところを全部持って行ってしまった形になった矢野氏は、チームメートに申し訳なさを感じていました。就職をすれば「奇跡を起こした男」と呼ばれ、プレッシャーのかかる仕事を任される。矢野氏も苦しんでいたのです。
そして、酒を酌み交わした2人が行き着いた結論は「俺たちは、あの試合を一生背負っていくしかない」という覚悟でした。そして、星子氏は、熊本市内の飲食店が入るビルの「10階(回)」に野球バー「たっちあっぷ」を新規開業させます。
「たっちあっぷ」とは
店内は、松山商業のユニフォームと金メダル(矢野氏が貸してくれている)、熊本工業のユニフォームと銀メダル(これは星子氏のもの)の他に、日本全国の高校から寄付されたユニフォームが飾られ、来店客はユニフォームを着て記念撮影もできます。
お座敷には、星子氏がアウトになったシーンの写真パネルが飾られ、裏側から顔を出して写真を撮ることが可能です。
カウンターでは甲子園の名勝負がDVDで放映され、好きな試合をリクエストできますが、ほとんどの顧客が1996年夏の決勝戦をリクエストします。そして、オーナーの星子氏が当事者ならではの試合解説をしてくれます。また、星子氏は記念写真やコースターへのサインに応じてくれます。
「たっちあっぷ」が教えてくれること
日本全国に野球をテーマにした飲食店がありますが、1996年夏の甲子園決勝戦をテーマにした飲食店はここにしかないのではないでしょうか。星子氏は自身の劇的な経歴があったからではなく、そのような経歴にしっかり向き合ったから「たっちあっぷ」という繁盛店を作ることができました。
目を背けたくなる過去から目を背けないでちゃんと向き合うこと。これが自社の強みを見出す第一歩です。経営者の経歴を強みとして活用するということは、属人的な強みを活用するわけで、このような取組みは、小規模店だからこそできることを認識しておくべきでしょう。
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